将来世代の利益 Interests for Future Generations

Tsukuyomi

全き宙の相続人たちへ―宇宙活動における「将来世代の利益」―

I. はじめに

 第二次世界大戦後の国際法の発展は、個人を保護の客体とする国際人権法や、環境という法益の保護を目的とした国際環境法に代表されるように、その主体と客体の拡大という顕著な特徴を有している。本稿がその論題とする「将来世代の利益」も、あるいはそのような流れに位置付けることができるかもしれない。

 アメリカの法学者であるワイス(Edith Brown Weiss)が提唱した「世代間衡平」(intergenerational equity)の概念は、現世代が将来世代の利益を一方的に犠牲にすることなく、地球という惑星を信託された受託者として管理し、受け取った時と同等以上の状態で次世代に引き渡す義務を負うとする考え方である。この理念は1992年のリオ宣言において取り入れられ、その後各国の国内判例や国際的な議論を通じて、国際社会において広く認識されるに至った。直近では2025年の気候変動に係る諸国の義務に関する勧告的意見において、国際司法裁判所が同概念を国家の法的義務を解釈する上での考慮要素として言及したことは記憶に新しい。

 将来世代の利益保護の思想的潮流は、宇宙活動を規律する国際宇宙法分野においても近年注目を集めている。例えば、2019年に国連国際法委員会(UNCOPUOS)が採択したLTSガイドラインでは、その目的である「宇宙活動の長期持続可能性」(LTSOSA)を「将来世代のために宇宙環境を保全しつつ、現世代のニーズを満たすために、平和目的のための宇宙空間の探査及び利用から得られる利益への衡平なアクセスという目的を実現する方法で、宇宙活動の実施を将来にわたって無期限に維持できること」と定義しているし、現在COPUOSで進行中の「宇宙資源活動に係る初期推奨原則」に関する議論でも将来世代の利益の保護は繰り返し言及されている。

 他方で、国際宇宙法分野は国際環境法学やその関連分野において長年蓄積されてきた将来世代の利益保護に関する基礎的な議論を十分に承継しているとは言い難く、その結果として将来世代の利益保護を巡る議論は、現行法の解釈としても立法論としても、若干の錯綜が見受けられるようになっている。本稿はこのような状況を踏まえ、宇宙活動の文脈において問題となる論点を中心に、将来世代の利益について整理を試みるものである。

II. 将来世代の利益とは何か?

 このテーマを考察する上で最も根源的であり避けて通れない問いは「将来世代」の意味するところであり、この問いは多くの誤解の根源となっている。ここではまず、「将来とは何年後を指すのか?」という素朴かつポピュラーな疑問を手掛かりに、「将来世代(の利益)」の意味に関する2つの考え方を整理したい。なお、イメージを明確にするために、ここでは例として2021年にロシアが実施した自国衛星の破壊を伴う対衛星兵器(ASAT兵器)実験を取り上げたい。同実験は追跡可能なものに絞っても1500個以上のデブリを発生させ、当該デブリの相当な割合は相当な長期間に渡って宇宙空間に滞留し続ける見通しである。ここでは、この実験に対して同実験が「将来世代の利益を損なうものである」という批判がなされたと仮定する。この批判は一見すると極めて明快であるが、その実、2通りの意味で用いられている。

 第1の理解は、言葉通り、ロシアのASAT兵器実験が「将来世代」という主体の利益を損なっているというものである。ここで言う「将来世代」は国でも人でもない「人の集団」であり、「現世代」とは何らかの基準をもって区別される。ワイスが「世代間衡平」の概念を構築する際に想定した「将来世代」はこのタイプである 。

 第2の理解は、「2050年のアメリカ」や「22世紀の日本」といったように、将来のある時点において特定の国家が有する利益を指すものとして「将来世代の利益」という言葉を用いるものである。この考え方は、「世代」という言葉に特別な法的意味を見出すものではなく、「将来世代」という新たな権利主体を想定しない。この考え方を採用する場合、先述のロシアのASAT兵器実験に対する批判は、既存の国際法主体であるアメリカや日本の利益が時間軸を超えて将来にわたり存在しているという理解に基づき、2021年にロシアが行った実験が時間を越えてそれらの利益を損なっている(もしくは損なう可能性が高い)と主張しているに過ぎない。

 これら二つの理解は、「世代」という言葉に新たな法的主体性を見出すか否かという点において決定的に異なるが、この違いは「将来とは何年後か?」という問いの意味を大きく左右することになる。というのも、第1の理解に立てば、この問いは、利益を享受する「将来世代」とは具体的に誰なのか、ASAT兵器実験によって利益を害された「将来世代」とは何者かという利益享受主体の特定に関わる問いとなる。これに対して、第2の理解を採用した場合、「将来とは何年後か?」という問いは、将来発生しうる利益侵害の蓋然性や予見可能性、損害の重大性といった、侵害の程度や態様に関する具体的な評価の問題となる。ASAT実験の例では、発生したデブリによって、アメリカは具体的に何年後に、どの程度の損害を被るリスクがあるのかという、事実認定の問題として現れるのである。

 また、いずれの理解を採用するかは、将来世代の利益保護を実定法の枠組みで論じる上で、決定的な差異をもたらす。宇宙条約は、その第9条第1文において「他のすべての締約国の対応する利益に妥当な考慮」を払う義務を定めている。第2の理解、すなわち将来時点における現存国家の利益という考え方を採用する場合、将来世代の利益保護を現行法の枠組みで説明するのは容易である。ロシアがアメリカの利益に対して妥当な考慮を払うべきことは両国が宇宙条約の当事国である以上当然であり、その利益侵害が今すぐ発生するか、2050年に発生するかは、義務の存在を本質的に左右するものではない。

 これに対して、第1の理解、すなわち「将来世代」という新たな権利主体を想定する場合、現行法からの説明は難しくなる。宇宙条約はその文言上、「(将来)世代」なる利益享受主体を観念しておらず、第9条も妥当な考慮の対象はあくまで「他のすべての締約国」となっている。したがって、そもそも「世代」とは何か、「将来世代」が妥当な考慮の対象となるのかについては、別途検討が必要となるのである。

 このように、「将来世代の利益」をめぐっては、根本的に異なる2つの考え方が存在しており、国家の声明等を読み解く際も混同してはならない。また、いずれの理解を採用するか次第で将来世代の利益保護に関する議論は全く異なるものとなる。本稿では、これ以降の検討において、第1の理解、すなわち「将来世代」を独自の利益主体として捉える立場を前提とする。なぜなら、第2の理解に立った場合、先述の通り、将来の利益保護は既存の宇宙条約第9条の解釈問題としてある程度説明が可能となるからである。

III. なぜ将来世代の利益を保護するのか?

 次に、将来世代の利益を保護する必要性はどこにあるのだろうか。第1の理解に立った場合、将来世代の利益として保護されるのは日本やアメリカといった国家の将来的な利益ではなく、「将来世代」という新たに観念した利益享受主体の利益である。将来世代の利益の保護論を立法論として展開するにせよ、現行法の解釈として展開するにせよ、保護の必要性については説明が求められるだろう。もっとも、将来世代の利益を保護するという理念は、その正当性を主張する上で、少なくとも二つの理論的なハードルを乗り越えなければならない。

 第1のハードルは、現世代と将来世代の連続性の問題である。というのも、一旦仮置きで「将来世代」を「まだ生まれていない人々」と定義して「現世代」と「将来世代」を区別したとしよう。この場合、確かに現世代が際限なくデブリを排出し、天体上の希少な資源を採り尽くせば、将来世代はデブリで飽和した軌道と資源の枯渇した天体という、著しく劣化した環境に直面することになる。これは一見、現世代による将来世代への一方的な搾取の典型例であるように思える。

 他方で、将来世代は、現世代がデブリを排出し、天然資源を消費することによって築き上げた科学技術、インフラ、その他の知的遺産といった恩恵を継承する立場にもある。言い換えれば、将来世代は現世代の活動によって不利益を被るだけでなく、同時に利益も享受しているのである。この負の遺産と制の遺産が複雑に絡み合う構造が存在する以上、現世代と将来世代を人工的に分割した上で単純な利益対立構造に当てはめ、将来世代の利益を現世代の活動の制約の根拠として用いることは、果たして可能なのかという問題が生じる。

 第2のハードルは、将来世代の利益の予測不可能性である。先の例において、現世代の行動が将来世代の利益を損なっているように見えるのは、暗黙のうちに、現世代と将来世代が同じ価値観を共有しているという前提に立っているからに他ならない。しかし、数十年後、数百年後の人類が、デブリを現代と同じように宇宙活動の障害と捉えている保証はどこにも無く、むしろデブリを資源として再利用する手段を手にした将来世代の人類の目には、軌道を埋め尽くすデブリは資源の山のように映るかもしれない。また、現代において貴重とされる水やヘリウム3といった宇宙資源も、将来世代の技術体系においては全く価値を持たない可能性すらある。仮に古代エジプト人が、21世紀の我々のために、当時貴重な資源であったピラミッド用の花崗岩を、多大な労力を払って保存してくれたと想像してみよう 。その心意気は感謝に値するかもしれないが、その努力が現代の我々の実質的な利益に繋がるとは言い難い。宇宙活動においても同様のミスマッチは発生し得るのである。

 もちろん、これらのハードルはあくまで現時点における想像に過ぎない。しかし、利益の保護の必要性を1か0かで論じるにせよ、将来世代に対して払うべき配慮の度合いの問題として処理するにせよ、将来世代の利益保護を根拠に現世代の活動を制限するならばこれらの可能性は無視することはできないだろう。

IV. どう保護するのか?

 最後に、将来世代の利益を保護する必要があるとして、具体的にどのように保護されるべきなのだろうか。この問いをめぐっては無数の論点が存在するが、ここでは特に宇宙活動との関連で重要と思われる点に絞って整理を行う。

 まず、将来世代の利益の保全には様々なレベルが存在し、これらは活動環境の保全と資源の保全に分類することができる。ここでは、両者が問題となり得る宇宙資源の探査および利用の分野を例に説明したい。

 まず、活動環境の保全とは、将来世代が特定の宇宙活動を安全かつ効率的に行うことを妨げられない状態を維持し、引き渡すことを意味する。現代の価値観に基づく分析という留保は付くものの、月面の特定の地点に過去の宇宙資源活動が発生させたデブリが散乱していれば、将来世代が同じ場所、あるいはその近傍で科学探査や資源開発を行おうとする際に深刻な障害となりうる。このような事態を避けるために、デブリの発生を抑制する措置を講じたり、活動終了後の宇宙物体を除去したりすることが、活動環境の保全として求められるだろう。

 これに対して、資源の保全とは、月や小惑星に存在する水や希少金属といった、有限な天然資源そのものを将来世代のために残すことを指す。当然のことながら、これらの資源は一度採取すればその絶対量が減少する。したがって、この文脈における将来世代の利益保護とは、現世代による資源の採取量を抑制すること、あるいは、資源そのものは採取するとしても、そこから得られた利益の一部を基金として積み立て、将来世代のための技術開発や環境修復に充当するなど、何らかの代償的措置を通じて世代間のバランスを取ることを意味する。

 宇宙資源活動をめぐる現行の議論において主流なのは活動環境の保全であるが、今後宇宙資源活動が本格化するにつれて、資源の保全に関する議論も提起される可能性も否定できない。ここでも重要なのは様々な議論を混同しないよう意識することであろう。

 次に、将来世代の利益を実現するための手続きについて考えてみたい。将来世代の利益が保護されるべき法的利益であるとして、一体誰が、どのような手続きを通じてその利益を主張し、実現するのだろうか。将来世代はこれをどう定義しても現時点においては存在しないという帰結になるものと思われるため、現時点において存在しない主体の権利をどう保護するかが問題となる。

 この問題に対して、国内法のレベルでは、環境NGOなどが「将来世代の代弁者」として、国家や企業を相手取って訴訟を提起する事例が世界各地で見られる 。これらの訴訟は、現行の法制度が将来世代の利益を十分に考慮していないと主張し、より厳格な環境規制などを求めて争われる。国際法のレベルにおいて同様の形態を模索するのであれば、現世代のいずれかの国による代理訴訟という形をとることになるだろう。近年盛んに提起されている当事国間対世的義務(obligation erga omnes partes)違反に対する訴訟は、このような訴訟の可能性を後押しするものと言えるかもしれない。

V. おわりに

 宇宙活動はその黎明期から、人類全体の利益のために行われるべきであるという崇高な理念と共に歩んできた。今日において多くの論者が唱える将来世代の保護に関する主張や、様々な国際文書において将来世代の利益が言及されている潮流も、宇宙条約が謳う「全人類に認められる活動分野」といった文言の意味を拡張する試みと捉えられるかもしれない。他方で、本稿が概観したように、同概念の理念を具体的な法的義務に落とし込むのは決して容易ではなく、そもそも宇宙活動分野において言及されている「将来世代の利益」なる概念がいかなるものか(先述の1つ目の理解によるものか、あるいは2つ目の理解によるものか)も必ずしも明確ではない。重要なのは、地上における議論がそうであったように、宇宙活動分野が将来世代の利益に関する議論を蓄積・深化させていく事であり、本稿がその一助となれば幸いである。

お勧めの文献

・Edith Brown Weiss, In Fairness to Future Generations International Law, Common Patrimony, and Intergenerational Equity (BRILL, 1989).
・Malgosia Fitzmaurice, “Intergenerational Equity Revisited,” in Isabelle Buffard and Gerhard Hafner (eds.), International Law Between Universalism and Fragmentation: Festschrift in Honour of Gerhard Hafner (BRILL, 2008), pp. 195-230
・Daniel Callahan, “What Obligations Do We Have to Future Generations?” in Ernest Partridge (ed.), Responsibilities to Future Generations: Environmental Ethics (Prometheus Books, 1981), pp. 73-88.

・Edith Brown Weiss, In Fairness to Future Generations International Law, Common Patrimony, and Intergenerational Equity (BRILL, 1989).
・Malgosia Fitzmaurice, “Intergenerational Equity Revisited,” in Isabelle Buffard and Gerhard Hafner (eds.), International Law Between Universalism and Fragmentation: Festschrift in Honour of Gerhard Hafner (BRILL, 2008), pp. 195-230
・Daniel Callahan, “What Obligations Do We Have to Future Generations?” in Ernest Partridge (ed.), Responsibilities to Future Generations: Environmental Ethics (Prometheus Books, 1981), pp. 73-88.

筆者紹介

清水 翔/SHIMIZU Sho
公益財団法人 日本国際問題研究所 研究員
早稲田大学 法学部、慶應義塾大学 法務研究科、防衛大学校 総合安全保障研究科前期課程を修了。
主な専門分野は国際宇宙法。
e-mail: sho8315945@gmail.com

(c) Institute for Future Initiatives, The University of Tokyo. All Rights Reserved.